ソ連の北海道占領計画

北方領土はソ連による国際的な「強奪」であった。

終戦直後、千島列島の北端で、日本軍とソ連軍との間で戦闘が繰り広げられたことを皆さん知っていますか。

大戦末期の昭和20年2月にヤルタでルーズベルト、チャーチル、スターリンによる3カ国首脳会談が開かれた。会談でルーズベルトは、ソ連による千島列島と南樺太の領有を認めることを条件として、スターリンに日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。これが「ヤルタ密約」といわれるものである。
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ヤルタ会談の2カ月後、ルーズベルトは急死。副大統領から昇格したトルーマンは終戦工作を進め、日本はソ連参戦と広島、長崎への原爆投下を経てポツダム宣言を受諾する。

そこでソ連のスターリンはトルーマンに次のような要求をする。

 (1)日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島列島全土を含めること。これはヤルタ会談における3カ国の決定により、ソ連の所有に移管されるべきものである。

 (2)日本軍がソ連軍に明け渡す地域には北海道の北半分を含むこと。北海道の南北を2分する境界線は、釧路から 留萌までを通る線とする。なおこの両市は北半分に入るものとする。

スターリンは、日本のシベリア出兵に対する代償であると主張した。

トルーマンは認めなかったが、スターリンはそれを無視した。
スターリンは終戦直前、極東軍最高司令官、ワシレフスキー元帥に「サハリン南部から北海道に3個師団の上陸部隊を出せるように準備指令を出した」という。

水間政憲氏はそれを裏付ける証拠として、ソ連の「北海道・北方領土占領計画書」を山形県鶴岡市のシベリア資料館で発見し、『正論』平成18年11月号にその内容を発表しています。
これは世紀の大スクープなのだが平和ボケした日本では騒がれていませんね。

実際にあった「北海道占領計画書」
https://bit.ly/2RR67tz


そして日本が終戦を受け入れて武装解除しようとした矢先にソ連は強盗になった。
ソ連は北海道の半分どころか、あわよくば全島の占領をもくろんでいたのである。

千島列島の最北端の占守島(しゅむしゅとう)に、誰もが戦争は終わったと信じていた8月18日午前0時過ぎ、カムチャツカ半島のロパトカ岬からソ連軍の砲撃が開始された。
ソ連軍は上陸用舟艇16隻など計54隻の艦船、総人員8300人余りで、18日午前2時に島北端の国端岬に急襲上陸を図った。

そのとき、司令官の樋口季一郎中将は、自衛のための戦闘を命ずるべきか、戦闘行為を禁じていた大本営の指示に従うべきか悩んだ末、反撃命令を発した。
ソ連は1日で全島を占領し、千島列島を南下する計画だったが、日本軍の予想外の抵抗によりソ連軍は上陸地点にくぎ付けとなったまま、戦闘は8月21日に終結した。ソ連大敗である。

もし樋口中将の英断による占守島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、その後のわが国はどうなっていただろうか。

北海道はソ連軍に占領されていたに違いない。
そして略奪、暴行、強姦などが繰り返され、多くの青年がシベリアに強制連行されていたことだろう。
さらに共産主義独裁国家が北海道に誕生し、津軽海峡を挟んで同じ民族同士で対立していたであろうことは想像に難くない。
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 ソ連の北海道占領計画は歴史の教科書に載っていないため、学校では教えられていない。そのため日本人の大半が知らない「歴史の真実」となっているのである。
https://www.data-max.co.jp/2013/01/30/post_16449_hmg_1.html
 


以上の話の大本は次の動画です。
https://youtu.be/iOXCILmlZG4

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