白蓮・生誕~学齢期

さて6000話記念として、今日は柳原白 ふらふら(やな ぎわらびゃくれん) の話です。 
(まずもってお断りしておきますが、全て敬称は省かせていただきます)

柳原白蓮は1885年(明治18年)10月15日 柳原前光(やなぎわらさきみつ)伯爵の次女として誕生しました。
前光の妹が柳原愛子(なるこ)で大正天皇の生母です。従って白蓮は大正天皇の従姉妹になります。
白蓮が生まれた家は麻布桜木町といわれていますが、どうも今の中国大使館の辺りらしい。

白蓮の実母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族「新見正興」の三女の「奥津りょう」です。
ここまでは以前のブログに書きました。
https://katintokei.at.webry.info/201805/article_8.html
このとき新見正興のお墓は訪ねたのですが、21歳で亡くなったという奥津りょうの墓までは考えが及びませんでした。
白蓮の自伝書によれば谷中の「妙円寺」ということは判ったのですが、お墓の情報はネットを調べてもわかりません。
これは現地に行って見るしかない。そこで昨日訪ねてみました。
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ごらんのように墓地は広大でどこにあるのか見当もつきません。
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お寺に尋ねる勇気もなく案内板がないかなーとうろうろしていたら、住職らしきおばさんから声がかかりました。
これ幸いと用件を伝えると、親切にも手をとって案内してくれました。
寺の建物の裏にそれはありました。そこには何の案内板もないし、戒名が刻んであるだけです。
(ちなみに戒名は「容顔院妙良日光信女」と読めます)
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こりゃ案内してもらわなけりゃわからないわ。
(墓の側面に奥津という字がかろうじて見えるだけ)
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これから訪ねて見ようという方のために説明します。
門を入ったら長い通路を階段で登り本堂まで行きます。
本堂の左の渡り廊下の下をくぐり建物に沿って前方に進みます。
そのまま真っ直ぐ突き当たりまで行く二つ手前の右側の墓がおりょうさんの墓です。
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白蓮は生まれると直ぐに正妻の初子に引き取られ柳原燁子として入籍されました。
そして公卿の習慣として燁子は里子に出されます。
そこは品川の立会川と旧東海道が交わる泪端のそばにあった半漁半農の「増山くに」の家でした。
                     これがその泪端
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当時はのどかな漁村で、暁子はここで海苔を拾ったりメダカをすくったりしてのびのびと育ちました。
下町言葉もすっかり身につき、長じてからも伝法な言葉遣いができたといいます。
「この浜辺で遊んだ子供時代の生活が幸せだった」と白蓮さんは回想しています。

やがて学齢期になると暁子は柳原家に戻されました。
小学校は元麻布の南山小学校です。
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今日はここまで。

・・・続く・・・・










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