大黒屋光太夫・白子~難破~アムチトカ島

さて大黒屋光太夫の話に戻ります。
大黒屋光太夫は伊勢の国の白子の出です。
白子は昔チャリで訪れたことがあります。
もう30年以上も前のことですが、四日市まで輪行バックに自転車を積んでそこから伊勢市までチャリを飛ばした時に寄ったのです。

その時はまだ大黒屋光太夫のことは知らなかったから記念碑などは素通りでした。
今調べてみると白子漁港の近隣に「大黒屋光太夫モニュメント」が立っていますね。

白子は当時も今も白砂青松の長い砂浜にある港で、風光明媚ではあるが港としては恵まれているとは言いがたいようです。なぜなら水深が浅く、回船が直接荷扱いできなかったようです。
それが当時大いに賑わったそうで、それは本能寺の変で家康が逃げ帰った港、すなわち助けてもらった土地だったから家康に優遇されたのですね。

さて1783年1月(天明2年12月)大黒屋光太夫が船長として江戸へ積荷を運ぶ途中、駿河沖あたりで暴風に遭い舵が流されました。さらに転覆を避けるため積荷を海に捨て、帆柱を切り倒しました。
それから漂流が始まりました。
大変困難な中、流れ流れて7か月後アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着しました。

そこで4年の歳月を費やし、光太夫は仲間と共にこの島を脱出しシベリアを横断し日本に帰国するまで壮大な旅を続けました。
その話はこれからとして本日はアムチトカ島の話です。

一体この島はどこにあるんでしょう。
アムチトカ島はもう北極圏に近い極寒の地。
当時アムチトカ島はロシア領。
現地人とロシア人が細々と住んでいました。
とても想像もつかない北方の不毛の地です。
ところが大東亜戦掃時、日本軍が占領し飛行場まで作っていたそうです。
その後アメリカの核爆発の実験場になりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%88%E3%82%AB%E5%B3%B6

ここで話は脱線しこの島を訪れた椎名誠さんのあやしい探検隊の話を紹介しましょう。
「アリューシャン列島の無人島探検記」といいます。

300年前に日本の千石船が遭難、漂流し、漂着した島だ。その漂流者17人の顛末についてドキュメンタリの撮影に行った。その話は別の本にくわしく書いたことがあるが、その島における我々の日々の行動についてまではあまり書けなかったので、閑話休題のようにして、ここに突如挿入します。

 アリューシャン列島は日本人にはなじみ深い。太平洋戦争中この諸島は北方戦線の重要な拠点になったし、ある時期は日本の漁業船団が活躍する海域でもあった。

 1985年だからもうかなり昔のことになるが、ぼくはある大きなドキュメンタリー映像の撮影のためにこのアリューシャン列島のかなり西端部分にある無人島に行くことになった。地図を見ると北海道の北東端あたりから船で行けば、天候にもよるだろうが、せいぜい2日もあれば到達しそうなところに目的の島があった。アムチトカ島という。すぐ近くにキスカ島があって、ここは太平洋戦争の頃に「キスカ奇跡の脱出」などといわれ、米軍に包囲された日本の軍艦が天候変化を利用してひそかに離脱成功した島として有名だ。アムチトカ島も日本軍が一時期占領し、航空基地を中心にした戦略拠点のひとつにした。

全文は
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20131010/368565/?P=1


さすが椎名ワールドです。
いつ読んでもワクワクします。
まだまだ元気でご活躍のようですね。
応援してまーす。

さて本題に戻りますが、大黒屋光太夫はこれからアムチトカ島から必死の脱出を図ります。
それは次回以降ということで。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック