【海の武士道】 敵漂流者の救助に当れ!

世界に誇れる素晴らしい日本人がかつて存在した。
その名は工藤俊作。
当時41歳、山形県出身.
時は昭和17年3月2日。
大東亜戦争でジャワ海の制海権争奪に敗れた米英豪連合軍艦隊の残存艦艇は、日本艦隊の隙をついて同海域からの脱出をはかった。だが日本艦隊に捕捉され相次いで撃沈された。
英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員合計約450人は脱出し漂流を開始するが、約20時間近く経過した翌3日、午前10時頃には生存の限界に達していた。
そこを通りかかった日本海軍の駆逐艦「雷」
日本海軍の出現に連合軍は絶望のどん底に突き落とされたかにみえた。

ところがここで下した工藤艦長の命令は・・・
「1番砲塔だけ残し、水兵員、溺者救助用意」
この海面は敵潜水艦の跳梁も甚だしく艦を停止させること自体、自殺行為に等しかった。
「雷」の乗員は全部で220名。敵兵はその倍である。

救助を決断した工藤艦長は、当初は敵将兵の蜂起に備え、軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していた。
ところが工藤艦長は間もなく彼らの体力が限界に達している事に気づく。そこで警戒要員も救助活動に投入した。

ここで下士官数名が艦長の意を呈し、救助のためついに海に飛び込んだ。そしてこの気絶寸前の英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げたのである。

救助した英兵を貴重な真水で洗い、衣服まで提供して工藤艦長はこうスピーチした。

『貴官達は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。』


https://matome.naver.jp/odai/2137740718175994801

救助された英兵達は大感激をした。
敵兵である自分達を、戦域での危険を顧みず救助し、衣・食を与え、敵国の病院船に引渡しまでしたのだから、英兵達の感激は並々ならぬものであった。

そんな中にサムエル・フォール氏もいた。
フォール氏はイギリスで外交官等を勤めた人で、その功績から「サー」の称号を与えられた英国紳士でした。
彼は工藤艦長から受けた恩を忘れられず高齢(89)と病をおして、工藤館長の墓参りに2008年12月7日やってきました。当時自分たちを救ってくれた雷の救助活動に対し、自分の命が尽きる前にどうしても感謝を伝えたかったからでした。
工藤艦長は戦後、川口市で親戚の勤める病院で手伝いをするなどして余生を過ごし、1979年に没しています。
工藤艦長はスラバヤ沖海戦での救助劇を身内にも話しておらず、フォール卿が来日して初めて、この救助劇が日本に知らされることとなりました。
http://teitowalk.blog.jp/archives/69358926.html

その工藤艦長のお墓が今回紹介する埼玉県川口市朝日1丁目の薬林寺にあります。
最寄りの駅は埼玉高速鉄道の川口元郷駅。
そこからてくてく北上しておよそ900m。
画像

画像

本堂の対面と左奥に墓地があります。
さてどっちに工藤艦長のお墓があるのか聞こうと思ったが人気がありません。
ネット情報と景色を見比べてまず本堂左奥に入ってみました。
お墓の中をうろうろするもなかなか見つけられません。

やっぱり誰かに聞いてみようと戻りかけたらそのお墓が目に飛び込んできました。
ああこれだ。これだ。
画像

画像

多くの墓が南向きなのにこの墓は北向きでした。
そして工藤俊作と彫った文字も小さく、ネット情報がなかったら私は見つけられなかったでしょう。
その場所はここです。
ぜひ日本海軍の名誉である工藤艦長のお墓を訪ねてみてください。
画像

本堂正面左の廊下を潜ると墓地に出られます。
人気があるなら一声かけて行かれるほうが無難でしょう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック