1968年金嬉老事件(寸又峡事件)

昨日の韓国大使館抗議の抗議文ー1に「朝鮮人暴動の一覧」が載っていました。
以前にもどこかで紹介していると思いますが、それを見ていたら一番最後に金嬉老(きんきろう)事件が載っていました。
https://drive.google.com/open?id=0B1x9Cc-QaB2QTkFqcUNTZGRLck5KZVpja0ZHQlMwdWc2OWVr

1968 年(昭和43 年)2 月 - 金嬉老事件
2 人をライフルで射殺し、静岡県の旅館で13 人を人質にして籠城。

この事件は私もよく覚えています。
静岡県の寸又峡で起きたから寸又峡事件としても知られていますね。

この寸又峡は家族旅行で大井川鉄道を訪れた時かすめました。
あれはもう30年ほど前のこと。
アプト線が工事中の頃です。
嗚呼懐かしい。
そうだ写真があったな。
これは東海道本線から分岐した大井川本線かな。
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これが大井川鉄道の「すまた号」
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付け替え工事中のアプト線路

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おっとっと・・・
脱線してしまったわい。
金嬉老事件に戻ろう。


金嬉老は1928年、日本の静岡県清水市で朝鮮人の両親のもとで生まれた。
3歳の時に父親が死んで母親が再婚し、義理の父の姓の金になり、それで金嬉老となった。

貧しい家庭事情で様々な犯罪を起こし、刑務所を出たり入ったりした。

1959年、31歳で出所し日本人女性と結婚して飲み屋を始めたが失敗。
その後、複数の事業に手をつけたが、みんな失敗し、妻とは離婚。

1968年2月20日、金嬉老は借金返済を催促してきたヤクザ2人と口論になってヤクザを銃で撃ち殺した。

二人殺害した金嬉老は、ダイナマイトや銃で武装して寸又峡温泉に逃走。
温泉旅館にいた従業員や客など13人を人質に取り、警察と対峙した。
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金嬉老は、「警察の韓国人差別を告発するために事件を起こした」と主張し、人質を解放する条件として、警察の在日韓国人に対する蔑視と差別の謝罪を要求していた。

この人質事件は様々なTV放送局で中継された劇場型犯罪の最初のケースである。

88時間の籠城の末、警察がTV中継を通じて金嬉老に謝罪をし、人質事件は終わった。

この事件は、韓国と日本に在日韓国人の差別問題を喚起させた。
もともとは借金で起こした犯罪だったが、「韓国人差別を告発するために起こした」という主張は韓国で英雄視された。

金嬉老は出所後韓国に住んで日本で経験したことを公演で話し回りある人妻と内縁関係を持つようになる。
ところがその人妻の夫を殺害する計画を立て家に火をつけて殺人未遂を起こした。

この事件で、一時は英雄視された金嬉老は、そのまま人間のクズ、殺人鬼となった。
このようにして金嬉老は、韓国国民からも忘れられるようになった。

後に金嬉老は、また別の女と結婚したという。
2010年3月26日、享年83歳、前立腺癌で死亡した。
一時は「差別と戦った民族の英雄」ともてはやされた金嬉老は、韓国の黒歴史となって韓国国民の記憶から忘れ去られた。

まとめ
・底辺人生を生きてきた金嬉老は、借金返済を催促してきたヤクザ二人を殺した
・在日韓国人に対する差別のせいだと主張し、差別に抵抗した英雄になったが
・再び殺人を試みて、ただの人間のクズ、殺人鬼であることがばれた

参考:http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/48313865.html

こんなのばかりだ。朝鮮人は。
おーやだやだ。

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