吉田清治の嘘碑を書き換えた奥氏

◇産経6/26:吉田清治氏の慰安婦謝罪碑書き換え 韓国警察が元自衛官の奥茂治氏を出国禁止 損壊容疑で取り調べ
http://www.sankei.com/world/news/170626/wor1706260007-n2.html
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吉田清治のウソに耐えられない清治の息子の依頼で奥氏が動き、謝罪碑を慰霊碑に書き換えたのである。
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具体的には謝罪碑の上に慰霊碑と彫った石を被せたのであるが、これが韓国の知るところとなり、韓国が奥氏に出頭を命じたのである。

「新潮45」7月号では、拘束直前に奥氏を取材した評論家・篠原章氏による記事を掲載。
「実行犯」は何を想い、行動を起こしたのか――。(以下、「新潮45」7月号より抜粋)
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20170626/DailyShincho_523031.html

文在寅(ムンジェイン)韓国新大統領就任に伴い、従軍慰安婦問題をめぐる「日韓合意」があらたな局面を迎えるなか、この問題を外交問題・国際問題にまで拡大した責任の一端を負う故・吉田清治氏が自費で設置した韓国内の「謝罪碑」が、「慰霊碑」に書き換えられていることが判明した。


謝罪碑は慰霊碑と書き換えられた
 吉田清治氏が設置した謝罪碑には、以下のような文言が刻まれていた。

〈あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて 強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく 尊い命を奪われました
私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として 人道に反したその行為と精神を潔く反省して 謹んで あなたに謝罪いたします
老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日
元勞務報國會徴用隊長 吉田清治〉(原文はハングルに日本訳併記)

 この長尺の謝罪文が、いつのまにか〈慰霊碑 日本国 福岡県 吉田雄兎〉というシンプルな慰霊文(原文はハングル)に変えられていたというのだ。「吉田雄兎」は清治氏の本名である。

 この謝罪碑は1983年12月、吉田氏が自著の印税を元手に韓国・天安市にある国立墓地「望郷の丘」に建立したものだ。

■吉田氏長男が一任
 吉田清治という一個人によって描かれたフィクションが、このように日本の「戦争責任」や「暴虐を極めた植民地主義」の根拠とされ、外交問題・国際問題にまで拡大するという「歴史」の重みに耐えかねた吉田氏の長男(1949年生)が、本誌(「新潮45」)昨年9月号の大高未貴氏のインタビューに答えて、「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」という悲痛な思いを吐露したのも無理からぬことだった。

 が、吉田氏の長男は、日韓合意が成立し、朝日新聞が吉田清治関連の記事を取り消すという流れを受けて、「慰安婦像の撤去」ではなく、父・清治の建立した謝罪碑を書き換える道を選んだ。謝罪碑は、「強制連行の証人・吉田清治」の出発点であり、長男には、父の遺した唯一の「遺産」ともいえるものだからだ。

 本稿で注目したいのは、実際に謝罪碑を慰霊碑に書き換えた〈実行犯〉の存在である。大高氏の新著によれば、吉田氏の長男はその人物に謝罪碑の「処分」を一任したというのだ。

■国士か、大馬鹿者か
 その人物とは、奄美大島瀬戸内町出身で沖縄在住の奥茂治氏(1948年生)である。奥氏は、1965年から1970年まで海上自衛隊に所属、その後は実業の世界に身を投じながら、予備自衛官や沖縄県隊友会(自衛隊OB会)幹部として、側面から自衛隊を支える。国防の現状を憂い、自ら「南西諸島安全保障研究所」を起ち上げ、情報収集や啓蒙活動にも取り組んでいる。

 メディアには滅多に登場しない奥氏だが、自衛隊関係者や沖縄の政財界ではかなり知られた存在だ。尖閣諸島に最初に本籍を移した「行動派」でもある。沖縄の裏事情を取材した経験がある者なら、誰でも一度や二度は奥氏の名前を耳にしているはずだ。「沖縄右翼の大物」と評する人もいれば、「沖縄の表も裏も知りつくした人物」と評する人もいる。

 筆者は今回の一件を知り、那覇市内にある奥氏の事務所を訪ねたが、奥氏は開口一番、「私のことは、〈国士か、はたまた大馬鹿者か〉と書いてください」と大笑いしながら語り始めた。

「〈謝罪碑〉を〈慰霊碑〉に書き換えたのは私です。清治さんのご長男から委任状をもらい、私が謝罪碑の件を一任されました。具体的な計画の立案や現場での作業は、すべて私一人でやりました」

「清治さんのご長男とは人を介して、比較的最近お付き合いするようになりましたが、こちらから勝手に押しかけたというのとは違います。ご長男の苦しみはよくわかりましたので、手伝えることがあれば、手伝いたいと思っていました」

■上に新たな石盤を…
 奥氏はいつから「書き換え」を準備し、どのように「決行」したのだろう。

「昨年の秋頃からです。当初は、ご長男の希望もあって単純な〈撤去〉を考えていたんですが、調査のため現場に行ってみると、重機がなければ撤去できそうもない。謝罪碑は、重量でいえば2トンほどありますからね。予め重機搬入の許可と撤去を申請すれば妨害が入るでしょうし、いきなり重機を搬入すれば、管理事務所との間でトラブルになります」

「そこで、謝罪碑の上に新たな石盤を貼りつける手があると思いついたのです。謝罪碑のサイズを測ったら、横幅120センチ、縦80センチ。そのサイズに合わせて〈慰霊碑〉と刻んだ新しい石盤を現地の石材屋に注文しました。総重量は90キロになるということで、3分割してもらいました。それでも一つの石片が30キロになる計算ですね。本番の直前に、沖縄で予行演習もしました」

 ***

 篠原氏の取材に対して「逮捕状が出れば出頭します。逃げも隠れもしません」「後は正々堂々闘うだけです」と語っていた奥氏。「新潮45」7月号では、決行当日の様子を中心に「実行犯」の声をさらに詳しく伝えている。

「新潮45」2017年7月号 掲載


奥さんよくやった!
これを義挙と言わずして何を義挙と言うのか。
本来政府の仕事だ。政府は奥氏を全力で守るべき。

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