明日は会津旅行「摺上原の戦い」

明日から明後日にかけて大学時代の友人と会津方面に旅行します。
それでその準備で色々調べていたら「さんさ時雨」という民謡が1589年、伊達政宗が蘆名氏を、「摺上原の戦い」で撃破した時の伊達軍の将兵によって作られた歌だったというではないか。

「さんさ時雨」は学生時代に仙台に住んでいたころから知っていたが、会津磐梯山の麓で行われた「摺上原の戦い」で出来た歌だったとは知らなかった。

この「摺上原の戦い」で蘆名軍は総崩れとなった。
蘆名軍が摺上原から若松に逃れるには、日橋川を渡るしか道はない。
ここは以前の会津旅行で訪れました。

蘆名軍の某大将が橋を落としたため、逃げようとする蘆名軍は逃げ道がなくなった。

「会津勢、日橋川に行き詰まり、とても死する命をと踏み止まり、敵と組みて刺し違ふもあれば、日橋川に落ちて大石岩角に馬を馳せ当て、自滅するもあり。歩者は川へ飛び入り、逆浪に打ち倒され、流れ死するもあり。 伊達勢も川の中迄追入り、討ちつ、討たれつ、突きつ、突かれつ、多くは河岸・川中にての軍なれば、只凡人の業とも見えず。 ここにして会津勢千八百余人討るれば、伊達勢も五百余人討れたり」
http://bit.ly/2r2enK1
画像


へー大変な戦いだったんだ。
それで「さんさ時雨」という歌が生まれたんですか。
この「さんさ時雨」は好きな曲だがいまいち歌詞が良くわからないので調べてみたら意外なことが判った。

伊達政宗の長男(庶長子)である秀宗(ひでむね)が宇和島藩(うわじまはん)の初代藩主となったのだが、「さんさ時雨」の原曲は宇和島藩経由で伊達藩に伝わったという説もあるのである。
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/minyo/sansa-shigure.htm

さらに驚く泣かれ「さんさ時雨」の歌詞をヘブライ語で検証すると「摺上原の戦い」の戦勝記念だという説まであるのである。
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=131
ちょっと飛躍しすぎの感もあるが、まあ今回の旅行で「摺上原の戦い」に思いをはせてみよう。


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