イザベラバードの通った道・車峠

イザベラバードの日本奥地紀行のなかで私が一番身近に共有できる場所は車峠である。
この車峠をイザベラバードが通ったのが1878年(明治11年)6月30日から7月1日である。
そこを私は1969年5月3日にサイクリングで通った。
イザベラバードから約91年後のことである。

車峠は国道49号(越後街道)の福島県と新潟県の県境に近い福島県側にある。
画像

明治にイザベラバードが通った道は当時私が通った道と同じはずである。
ただし昭和の道は当然広く良くなっています。
その後本格的な整備舗装が1971年に行われ今までの道は旧道になりました。
この旧道が今通れるかどうかはわかりませんが、少なくとも14年前は通れたようです。
http://roadweb.web.fc2.com/report_n/n049_kuruma/n049_kuruma_1.htm

さてイザベラバードがこの車峠を通った記録は日本奥地紀行の十三信と十四信に載っています。
その部分を抜粋してみます。

日暮れ時に野尻という美しい村に到着した。この村は、水田の谷間のはずれにあった。夕方ではあったが、私は穴の中のような宿で日曜日を過したくはなかった。一五〇〇フィートほど高い山の端に一軒家が見えたので、聞いてみると茶屋であることがわかったから、そこまで行くことにした。うねうねと続く山路をのぼるのに四十五分もかかった。この道によって難所の峠を越えるのである。暗闇となり、さらに雷鳴が稲妻を伴ってやってきた。ちょうど私たちが着いたとき、青い巨大な稲妻が宿屋の内部まで明るく照らした。焚火のまわりに大勢の人びとが集って腰を下している光景が現われたかと思うと、次の瞬間にはあたり一面がまた真っ暗闇となった。それは、実にぞっとするような気持であった。

この宿屋は、車峠の刀のように鋭い山の端にほとんど突き出るばかりという、すばらしい場所に立っている。私が今まで泊った宿屋の中で、宿屋から眺めらしいものができたのは、この宿屋だけである。村はほとんどきまって谷間の中にあり、しかも最上の部屋は奥の方にあるので、眺望といえば垣根をめぐらした因習的な庭園に限られるのである。ここには蚤が大群をなしているが、蚤さえいなければ私はここにもっと滞在したいと思うだろう。会津の山々の雪景色はすばらしいし、ここには他に二軒しかないから、群集にわずらわされることなく自由に散歩できるからである。

昨日の旅行は、今まで経験したうちでもっともきびしいものの一つであった。十時間も困難な旅を続けたのに、たった一五マイルしか進むことができなかった。車峠から西へ向う道路は、とてもひどいもので、駅場間はただの一マイルしか離れていないことがある。しかし、多くの市町村と大きな後背地をもつ肥沃な会津平野の産物を新潟に送り出すためには、少なくとも津川に来るまでは、その道路に頼らなければならない。この道路はあらゆる合理的な近代思想を無視したもので、山をまっすぐ登り、まっすぐ下る。その傾斜度ときたら、当てずっぽうを言うのもこわいくらいである。現在では、全くひどい泥沼のようになっており、大きな石を落しこんでいるが、角だけ出して沈んでいるものもあり、すっかり潜って見えないものもある。こんなにひどい道路を馬に乗って通るのははじめてであって、それは大変なものである。私は日光を出発してから、二〇〇○フィート以上の高さの峠を十七も越したが、車峠はその最後の峠であった。

車峠から津川までの景色は、規模は小さいが、今までとほぼ似たものである。山々は頂上まで森におおわれ、その間に峡谷がわりこみ、ときには遠くの山脈をのぞかせる。すべてが緑色の草木におおわれている。


この道を私は、いや私たちは自転車で苦労して通ったのです。その当時は当然のごとく未舗装砂利道でした。
その時の日記が残っていますので紹介してみたいと思います。
我々はイザベラとは逆向きに新潟県側から福島県側に向かっています。
サイクリング4日目で津川のはずれの山中からスタートでした。

連休の第1日目とあってR49も自転車が多かった。
朝早く出発しようと思いきや例の通り遅くなって出発。

ここからずっと登り坂、途中であまりの暑さとのどの渇きから、店でアイスクリームを食べる。
そこの人に聞いてみればまだ舗装工事はこれから始るとか。
福島県に入ってからしばらくしないと舗装になっていないとの話。

登り坂はまだまだらしい。やっとこさ暑い思いをして峠まで登りきる。
やれやれこれからはずっと下り坂かと思ったらさにあらず。
さらに登り坂が前方に見えてきた時にはがっかり。また苦労しておっちらこっちら登った。

さすが国道、車が多いことにはまいった。
ジャリ道の登りは全くいやになる。それでもなんとか登りきってしまうと(ここが車峠)前方に開けた川、これは只見川じゃないか・・・あそこに見えるのは柳津では・・・心もうきうき、それにしても見覚えがない。
下って聞いてみると西会津町とか。地図でみてみると出発してから日中の半分も費やしているのにその距離の短いこと。本当にがっかり。

これでは若松に着くのが精いっぱい。腹が減ってどうしようもないのでパンにかじりついた。

さすが会津、店のおばさんの言葉も耳に懐かしい。

しばらく休んで叉出発。もう坂はごめんだと思っていたのに、今日三度目の登り坂、これまたジャリ道とあってもう泣きたい思いだった。

それでも坂を登りきり只見川が見えた時のうれしさ。
懐かしさのあまり飛び込んでみたい思いだった。


・・・・後略

さてこの後だがこの日のうちに会津若松まではなんとか辿り着き鶴ヶ城で花見の一杯にありつけました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック