私の昭和史-11

私の昭和史-10は昨年の8月に書いたきりずっとさぼっていました。
学生から社会人になるところで足踏みしたのです。

社会人以降のことを書くと自分の正体がばれる恐れがあるので躊躇していたというのが、正直なところです。
でもやはり自分の人生記録なんだから書き遺さないわけにはいきません。

修士課程も終わっていよいよ卒業・就職という時期でした。
今の妻と卒業直前の3月某日に結婚しました。
だから一応学生結婚で金もないから式場は田舎の勿来市民会館でした。

さあそれからが忙しかった。
結婚式を終えてその足で仙台に移動し卒業式。
取って返して東京の友人Kの結婚式に出席。
それを終えて四国に新婚旅行。
旅行から帰ったら今度は友人Sの結婚式に出席。
それから4月1日に会社の入社式。

そのころ住んだのが横浜の大倉山のアパート。
入社式の時はそこに居たから仙台の住まいをそこに移していたことは確か。
でも引越しの事は全く覚えていない。
なにしろ目の回るような展開だったから。

そうそう入社式と言えば恰好いいが、その時入社したのは私一人だったからセレモニーなんて無かった。
会社はその年の採用は予定に無かったらしいが私が応募したから、私一人だけだった。

話は前後するが、結婚の前に入社試験があった。試験と言っても面接だけだったが。
仙台から東京に面接に出てきた時のことは鮮明に覚えている。

会社の最寄りの駅で「●●社」と言ってタクシーに乗り込んだら知らないと言う。
住所の紙を渡して「●●社」に着いてみると2階建てのみすぼらしいプレハブのような建物。
業界では日本一って言ってなかったけ?騙されたか~。
このまま帰りたくなったが、いちおう紹介してくれた教授の手前、顔を出した。

社長が出てきて「是非来てくれ!」の迫力に思わず「はい」と答えてしまった。
社長が大学の先輩だったから「まっ!いいか」と思ったのだ。
あの時帰っていたら全然違った人生になっていたんだろうな~~。

横浜の大倉山はこれまた懐かしい。
山の上に大倉精神なんちゃらという陰気な建物があって、帰宅でそこを通るのが気味悪かった。
東横線の青蛙もあのころはあったし、多摩川の堰にはいつも泡がもこもこしていたな。今は見られないようだが。
ジャイアンツの練習場もあった。
東横線から日比谷線に入り地下にもぐると冷房が切れて暑かったっけ。
初めての大倉山のお客さんが同僚のK氏だったっなー。

大倉山には1年も住まなかったが思い出はいっぱいだ。
思い出すたび胸がじーんとする。もう40年になるもんな。
        ・・・続く・・・













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