私の昭和史-10

まだ学生時代が続きます。
何たって人生の中で一番華やかだった時ですし昭和もまだ続いていましたから。

前回は12000円のブルーバードで12000Kmも乗り回した旅行のことを話しました。
その車を車検切れで廃車にし、代わりにサニーバンを手に入れました。
やはり共同購入です。4万円くらいだったろうか。
でもこの車では尾瀬に行った記憶しか残っていません。私と友人Kと従姉妹の佳子ちゃんとその友達の4人でした。
尾瀬の帰りに私は只見に寄って友人Kがサニーバンで仙台まで戻る時、磐梯熱海あたりで事故りました。
急ブレーキで車が左にとられ何かに自爆したのです。
只見から仙台に戻ってみたらかくかくしかじかで廃車と聞いて驚きましたが、同乗者に怪我はなくほっとしたことを覚えています。

八幡町の下宿生活は4年で終わりました。
下宿仲間が卒業を迎えたことでおやじさんも下宿をたたむことになったからです。
ところが私は1年留年したうえ、修士課程2年と合わせてあと3年、仙台で過ごすことになりました。
八幡町からあまり離れず安い自炊のできる部屋を北山に見つけました。

そこで出会ったのが今でも付き合っている親友のI氏です。
4畳くらいの狭い部屋で引っ越しもすぐ終わり、隣の住人に挨拶に行ったら彼がいました。
話してみたら同じ学科の後輩。
すっかり意気投合してすぐ酒盛りとなりえらく二日酔いになった記憶があります。

このとき卒業した友人Sが車を置いていきました。スバル360バンです。
ボロボロの車体でドアもまともに閉まらず、クラッチも踏んだら戻って来ないような代物でしたが、さすがスバルです。
エンジンは快調で今の嫁さんを乗せて裏磐梯から日本海までバンバン走りました。
でも最後はI氏がどこかで事故って廃車となりました。

このころI氏の弟が仙台に住んでおり彼らの実家の御前山に1週間くらい遊びに行きました。
このときI氏が乗っていた車がダイハツフェローでした。
この御前山については次のブログ御前山でちょっと触れました。
当時は那珂川でウナギを突いたり、投網をぶったり、銚子までダンプに乗せてもらったりして、仙台に戻ろうとしたら途中、袋田で車のクラッチワイヤーが切れました。そこで仙台までは無理と御前山に引き返しました。
クラッチワイヤーが切れてもなんとか運転できたのは、エンジンの回転数を合わせることでギアチェンジが出来たからです。
あの時は早く仙台に戻りたかったこともあって、修理じゃなくI氏の祖父がカローラ?をポンと買ってくれました。
さすがに孫は可愛かったのでしょうね。

さて私が修士課程のときI氏は同じ研究室の4年生。
この時の思い出は「粉塵爆発の思い出」に書きました。
残念ながら大教授は亡くなりましたが、この研究室の仲間とは今でも酒飲み友達です。
毎年暮れには恒例の飲み会がずっと続いています。
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さて次は大学を終わり社会人に突入するところからです。--続く予定--

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