日々佳良好

アクセスカウンタ

zoom RSS 不忍池の底が抜けたことがあるって本当?

<<   作成日時 : 2013/01/27 10:59   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 4

地域情報誌の「谷中・根津・千駄木」(谷根千)は2009年で終刊してしまったが昔はよく読んだものだ。
その企画・編集を手掛けた「森まゆみ」さんに「東京ひがし案内」という文庫本がある。
それを読んでいたら思いがけない記事に遭遇した。

なんと地下鉄千代田線の工事中に不忍池の底が抜け、約3万トンの水がトンネルに流れ込み池が約1時間で干からびてしまったという。
当事としては大事故なんだろうが、ネットを調べても詳しくは出て来ない。
どれをみても。「1967年9月に地下鉄千代田線の建設工事に伴う土砂崩れで池の底が抜け、約3万トンの水がトンネルに流れ込む事故が起きた。」くらいしか書いてない。

犠牲者は?その場所は?事故の様子は?などさっぱり判らない。
マピオンをみると蓮池の底を千代田線が走っているのが判る。
事故現場は恐らくその辺なんだろう。
それと3万トンの水と言うと、蓮池の水量(4.6万トン)の65%くらいだから全部抜けたわけではないようだ。

さてこの不忍池を調べてみたら、他に面白いことが判った。
その池の底の話では、1986年に地下駐車場の計画があったが、反対運動で中止になったという。
その代わり現在は上野中央通りに地下駐車場が出来た。
それに付随する地下道路も出来、上野から御徒町まで地下で繋がっているという。
これはいずれリポートする予定。
また不忍池はもともと藍染川が水源であったが、川は暗渠になり下水として池の隣の不忍通り付近を流れているようだ。

ところで現在見られる不忍池は明治時代は競馬場だったという。
池の周りを埋め立て馬場としたのが今の遊歩道という。
ただしギャンブルの競馬じゃなく、着順で馬主に賞金が出るだけだったという。

江戸時代は不忍池の底を何度も浚渫し泥土を池の西側に盛り新地が作られたという。
ここに料理茶屋などができ遊女もいる盛り場ができたという。

そういう歴史があるから不忍池は今でも池の体面を保っていられるんですね。
なんせ平均水深は80cm前後しかないから、人工的な手を加えなかったら、湿地帯から陸になって行く運命にあったんじゃないかと思います。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
外から来る方は不忍池というそうです.
地元の人は池之端というらしい.先日谷中七福神を歩いたときにボランティアで案内をしてくれる方が言っていた.下谷生まれの私も不忍池とは言ったことはないです.言いやすいのは池之端ですね.
よいこ
2013/01/27 17:43
そうでしたか。私も外から来た人間だから不忍池しか知りませんでした。
この水源の藍染川(谷田川)の跡が蛇道というくねくね道で地元では有名で、台東区と文京区の区界にもなっているんですが、池に向かうその延長に驚くような道があります。
人ひとり通れるかどうかという細い路地で、生活臭が漂いとても区境とは信じられません。
かちん
2013/01/27 22:00
不忍池でも不忍通り側にあるボート池の水だけが抜けました。当日は近隣の有志が池の魚や亀を出来る限り隣の蓮池の方へ移送してた事を記憶しています。
一回だけ花火大会が開かれました。当日観に行きましたが、時々近くに花火の殻(オワンみたいな物)が降ってきました。それで誰かが怪我でもされたかで一回で終わったかな思いましたが。。楽しい思い出でした。
夜光虫/2017/01/04
2017/01/04 14:07
水が抜けたのはボート池です。当日は、残り少ない水によって水溜まりが所々に出来ていて、其処に大きい鯉や鮒が集まり、苦し気に、バチャバチャしていたのと、普段、営業終了後、ボート乗り場付近に係留されていたボートが、池の底に置いてあるような様子が印象的でした。
パピー
2017/03/06 08:08

コメントする help

ニックネーム
本 文
不忍池の底が抜けたことがあるって本当? 日々佳良好/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる