故郷探訪・大日本炭鉱鉄道

私が中学生の頃まで、家の近くを鉄道が走っていた。
勿来駅と出蔵(いでくら)を結んだ、正式名称「大日本炭鉱勿来鉱専用鉄道」と
いう、1067mm軌道を蒸気機関車が石炭を運ぶ本格的な鉄道だった。
当時我が家の風呂は石炭を燃料としていたが、鉄道のレールの脇には石炭が
落ちていたので、よく拾いに行ったものだった。
また、我が家から勿来駅に向かうと必ずその鉄道の踏切を渡る。
高校の時は、「平」(現在のいわき駅)まで通学していたから、毎日のようにその
踏切を自転車で渡った。その頃はすでに列車の運行は廃止されていたが、線路
は撤去されてはいなかった。レールとの段差を埋めていたのが木材だったと記憶
するが、でこぼこしていたので、ここを自転車で通る時は必ず減速したことが昨日
の事のように思い出される。
それが廃止されて45年経つが、当時の鉄道の面影はどんどん失われていく。
まだ今なら痕跡が残っている。それならと、鉄道跡を辿ってみることにした、
この鉄道に関しては、すでに詳しく調査された書籍やネット情報があるので、それ
らも引用させてもらいながらレポートする。

まず、簡単に歴史をみておこう。
出蔵地区周辺は、昔から石炭の露頭が見られ、明治になって本格的に採掘が開
始され、石炭は俵詰めされて馬で運ばれ、隣町の平潟港から船便で出荷された。
鉄道の開設は1906年で軌間609mmで勿来駅と出蔵を結んだが、今とは違う
経路で、勿来駅から旧国道289号線を並走し窪田町の街中を通っていた。
1943年に現在のルートに経路が移設され、1957年に609mmから1067mm
へ改軌されたが、1966年11月11日に廃止となった。全長4.12kmである。
炭鉱の経営は石城採炭→勿来炭鉱→三星炭鉱→大日本炭鉱と変遷している。

次に勿来駅から出蔵までの線路図を示す。
これは地元の「おやけこういち」様著書の「常磐地方の鉱山鉄道」から引用させて
頂いた。(以下この書籍を「おやけ書」と呼ぶ。)

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それでは勿来駅からスタートして出蔵に向かって話を進めて行く。
勿来駅の北西に位置するこの広場が起点で、引き込み線が何本もあった。
それを黄線で示すが、引き込み線を表現しただけで、正確ではありません。
以下、黄線や黄矢印で示したのが推定される線路跡である。
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この地点で進行方向の出蔵方面を見ると線路跡には家が立ち塞がっている。
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ここからは住宅が線路跡地を占めているので、その末端まで一足飛びして、
そこから勿来駅方面を振り返って見たのが次の写真だ。
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ここで出蔵方面を見ると、線路は「へび山」の縁を切り通しで越え進路を西向き
に変える。切り通しが判りずらいので、ここだけネットから引用させて頂く。
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          「浪江森林鉄道」様から引用
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切り通しを越え線路は「へび山」の裾野を、東から西へと向かい矢印右へと進む。
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    西側から見た線路跡、矢印左から矢印右へと出蔵方面を目指す。。
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              すると進路は住宅に遮られる。
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住宅の反対側に回ると、そこから道路が始まっており、これが線路跡のようにも
見えるが、山裾に接近し過ぎなので、左の住宅を通っていたと思われる。
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踏切のあった小塙橋から、その民家(勿来駅)方面を見たところだが、トラックの
先の住宅の所で道路はクランクして、山裾に近付くので線路は、その民家を突き
抜けていたと思われる。
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          踏切のあった小塙橋から出蔵方面を見る
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         その踏切の昔の写真を示す。(おやけ書より引用)
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さらに進むと明確になった線路跡は、きれいなカーブを描いて堤防の上を通り
          右手奥の住宅の辺りで堤防から離れて行く。
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その住宅の一番奥まで行くと、線路跡は住宅の庭先を通らないと辿れなくなる。
           そこで引き返して反対側に回ることにした。
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反対側から住宅の屋根が見えている。柵があるところから手前は明確な線路跡。
            柵のすぐ手前に小さな橋が架かっている。
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  ここから出蔵方面を見ると線路跡は明確で、前方に軽トラが小さく見える。
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        その軽トラの脇をかすめ明確な線路跡が前方に続く。
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  それを行くと最初の市道と交差するが、線路跡はここから舗装されている。
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         さらに行くと近年できた二番目の市道と交差する。
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   次の三番目に交差する市道を越えると、すぐに線路は左にカーブする。
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    ここからは完全に、後年整備された田圃に飲み込まれ跡形もない。
        カーブした線路は真っ直ぐに、手前の山裾を目指す。
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        山裾で市道と交差しそのまま真っ直ぐに出蔵を目指す。
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             出蔵到着前にゆるく右カーブをきる
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              終点の少し手前の線路跡の道
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   この辺を走る昔の蒸気機関車C50の雄姿をどうぞ(おやけ書より引用)
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        この道が高速道路をくぐると終点の万石跡に到着する。
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          万石(石炭積込み場)の跡は工場になっている。
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         以上の道程を、終点側から見た昔の写真です。
         中央大きな建物が万石です。(おやけ書より引用)
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戦後、日本の復興と発展を担ってきた石炭も、石油という怪物には勝てず、全国
の山々はバタバタと閉山に追い込まれた。ここの大日本炭鉱も例外ではない。
炭鉱が消え鉄道が消えたばかりではない。私が小学生だった頃の炭住の友達も
地元から姿が消えた。鋭角だったボタ山もいつのまにか丸くなり、緑に覆われた
普通の山になってしまった。
石油が枯渇する枯渇すると言われて久しい。しかしいずれは本当に枯渇し、また
石炭が脚光を浴びる日が来るだろう。でもここが再生することは多分ないだろう。


         

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この記事へのコメント

「炭鉱マニア」HP管理人・神山卓也
2012年12月28日 00:29
【リンク報告】
 はじめまして。神山卓也
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/
と申します。

 私が運営しております、以下のホームページのサブ・コンテンツ計2箇所から、貴ホームページにリンクを張りましたので、その旨、報告申し上げます。
○ 炭鉱マニア
http://coal.shimazu-yoshihiro.net/
炭鉱を紹介するホームページです。貴サイトへのリンクの掲載ページは、「炭鉱・石炭関係リンク集」の常磐炭田欄です。
http://coal.shimazu-yoshihiro.net/coallink.htm#joban_coal
○ 温泉天国・鹿児島温泉紹介!
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
鹿児島温泉(鹿児島市内温泉)を中心にして、鹿児島県内外の温泉と観光スポットを紹介するホームページです。貴サイトへのリンクの掲載ページは、「いわき市石炭・化石館 ほるる訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/FUKUSK01.HTM
のHP欄です。

 今後共、よろしくお願い申し上げます。

もぐら
2019年06月30日 14:14
初めまして、大日本炭鉱の炭住人です貴重な資料拝見ありがとうございます。

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