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zoom RSS 「緑色の赤福」お目見え 

<<   作成日時 : 2018/07/07 17:28   >>

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私は伊勢に1990年〜2000年にかけて通算9年ほど住んでいた。
だから赤福と聞いたら素知らぬ顔はできない。

その赤福が明治44年以来の新商品「緑色の赤福」を7月15日から発売するというニュースを見た。
http://news.livedoor.com/article/detail/14959273/

へーそれじゃ赤福ならぬ緑福じゃないの。
赤いきつねと緑のたぬきに触発されたのかな。
なんて見ていたら関連記事でこんなことが載っていた。

赤福の俳句、子規じゃない? 店は困惑「誰か情報を」
https://www.asahi.com/articles/ASK8S777MK8SPFIB00M.html?iref=pc_extlink
「赤福餅」の包み紙に長年書かれてきた俳句がある。販売元の赤福(三重県伊勢市)によると、松山市出身の俳人・正岡子規(1867〜1902)による作品と伝えられてきたが、今年になって「裏付け資料が見つからない」と指摘された。赤福側は「情報を持っている方がいれば教えてほしい」と呼びかけている。
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赤福餅の包み紙。裏に「到来の赤福もちや伊勢の春 子規」とある。左隣の句は高浜虚子の「旅は春赤福餅の店に立つ」で、こちらは虚子の全集に収録されている


へー赤福餅の包み紙などしげしげ見たことなかったが正岡子規の句が載っていたんですか。
知らなかったなー。でも本当に正岡子規が詠んだ句かどうかはわからないみたいだ。
まあ真偽のほどはどうでもいいが、正岡子規と言ったらつい先日私は谷中あたりを散歩していたら地図で「子規庵」を見つけたので「子規庵」を訪れていたのです。
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子規庵について記すと、この建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
明治27年子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を彼の病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。
子規が34歳で亡くなった後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話を続けました。
昭和元年に修復工事が行われ、土蔵が建設されました。
昭和20年4月14日の空襲により子規庵は焼失。
幸い土蔵は残り貴重な遺品が後世に残されました。
現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建され、同27年東京都文化史蹟に指定されて現在に至っています。

子規庵は鶯谷に近いので近くにはラブホがちらほら見えあまり良い環境とは言えませんでした。
でも中に入ったら、根岸の古い家ってこんな匂いがするのかと軽い驚きを覚えました。
なんて言ったらいいのか、なんか懐かしい匂いがするのです。
ああこれは久しく忘れていた田舎の旧家の匂いに似ている。

子規の終焉の間がありました。
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へーこの部屋で亡くなったのか。
いや待てよ!子規が亡くなった後に焼失して再現された家だよねこれは。
説明員に確認したらやはりそうでした。
でも忠実に再現されているそうだから終焉の場所であることには変わりない。

庭や土蔵は当時のままのようだ。
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正岡子規は有名だから誰でも知っていると思うが、彼の作品となると私はほとんど知らない。
唯一知っているのがあの「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」である。
これじゃ小学生レベルじゃわい。
ちょっと勉強してみようと私は子規庵で本を買いました。
収穫があったらそのうち紹介したいと思います。

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