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ブログで「姿三四郎」のモデルと言われる「西郷四朗」のことを前に述べました。 復習になりますが、「西郷四郎(1866〜1922)は会津藩士志田貞二郎の三男で、会津藩の家老であった西郷頼母の養子となりました。(明治12年) 17歳のとき上京、講道館に入門、講道館最初の初段、20歳で5段に特進、警視庁武術大会で「山嵐」により有名となりました。新聞人として活躍しました。」 その新聞人として活躍した場が長崎です。 私は今度長崎に出かけます。これはどうしても調べてみなくてはなりません。 西郷四郎は柔道を極めた後、そこに安住することなく、世界に目を向けます。 そこで長崎に来て、同郷の鈴木天眼が興した東洋日の出新聞社に参加し編集長となり、国際ジャーナリストに転身したのです。 鈴木天眼は宮崎滔天らと親交があり、早くから孫文の活動を報道していますが、西郷が何度か中国に渡り現地で取材したようです。 その「東洋日の出新聞社」の跡地には「孫文先生故縁の地」という碑が建っています。 その跡地には創業大正十四年長崎にはじめて生まれた喫茶店で現在長崎名物トルコライスで有名な喫茶店「ツル茶ん.」があり、お店の中に西郷四郎資料コーナーがあるそうです。(長崎市油屋町2-47) そしてそこからほど近い大光寺というところに西郷四朗の墓碑があるそうです。 西郷四朗は新聞人だけでなく本来の体育界の指導者として大活躍したようです。なかでも、大正3年と同5年には、有明海横断遠泳の監督・顧問として、その実現と成功に主導的役割を果たしたといいます。 記録を見ると第1回は大正三年八月、潮流と日没のため到着予定地の熊本県長洲を目前にしながら失敗。 次いで、大正五年八月第ニ回を決行し今度は熊本県長洲から、島原猛島海岸に至る間を見事に完泳し、この時初めて有明海横断の記録が樹立されている。 その後第3回が50年ぶりになり、昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーが有明海横断遠泳となった。 へー全く知らなかった。有明海で聖火リレーとは。それも西郷四朗が当初関わっていたなんて。 下記URLは当時の有明海横断遠泳の記録です。 http://www.nezumijima.com/archives/ariake.htm |
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