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zoom RSS 昔の北海道サイクリングのトレース旅 -3

<<   作成日時 : 2010/09/06 17:30   >>

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順番が前後しますが3日目に入る前に昔のサイクリングの全体像を示します。

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昭和43年の夏、前もって自転車を貨物で函館に送っておいて、我々3人は仙台から列車・青函連絡船で函館に入り、上図のコースを16泊かけて回り、最後は札幌で自転車を貨物で送り出し列車で帰りました。本当なら完全に一周したかったのですが、気力・金力が続かなかったのです。期間は7月15日〜8月1日でした。
今回の旅では東京から飛行機で函館空港に入り、そこからレンタカーで3泊かけて当時のコースを辿り、函館空港から帰りました。それでは本題に戻ります。

3日目 6月13 日(日)
朝食をローソンで仕入れ7:00出発。帯広市内はそれなりに車があったが、郊外に出ると車はポツリポツリで北海道の広さが実感できた。
浦幌の町(9泊目)では、キャンプ候補地付近ををうろうろしてみたが、まったくわからなかった。
(当時、釧路へ向かう町はずれの草地でキャンプをし、ちょっと町に戻った食堂でラーメンライスというものを初めて食べた。話好きの愛想のよい女主人であった。)
音別駅で当時を思い出しトイレを使った。水洗であったし、小さいながらも有人駅であった。
(当時音別駅でトイレを拝借したが「おつり」が来たことを言っている。都会の若者には「おつり」は?だろうな。)

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この日も海岸線は霧であった。でも大楽毛から阿寒湖を目指し内陸に向かうと、霧も晴れよい天気で気温もどんどん上がった。
10泊目の橋の下のキャンプ地は比較的簡単に見つかった。当時誰かが大きなフキを傘代わりに、ここで野糞をしたらしいが、今回それのまねをして往時を偲んだ。
(当時、この日の午後は雷雨で、バス停で雨宿りをして橋の下に野宿した。阿寒湖20Km手前の阿寒橋である。大きなフキは今も残っていた。)

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阿寒湖の湖畔は当時なかった大きなホテルで囲まれていたが、写真を撮った場所はだいたい見当がついた。
雄阿寒岳の頂上の形状が当時の写真と異なっていたが、その後の噴火で変わったのだろうと意見が一致した。
湖水は当時より多少きれいかなと思われたが、洞爺湖ほどではなかった。
(後日の検証で大きなホテルは当時もあった。ただし当時と今が同じかは不明。雄阿寒岳は活火山ではないので頂上の形状の違いは、当時の写真の山頂に雲がかかっていたためだろう。また当時の日記に「阿寒湖は俗化されていて水が汚くて驚いた」とある。)

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(阿寒湖にて当時の撮影場所はどこか探索中の様子。上の写真と比べると雄阿寒岳の山頂の形状がちょっと違う)

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次は摩周湖に向かう途中で11泊目の野宿をした橋の下の探索である。
「滝見橋」が候補だったが、道路が立派になっていて橋もかなり大きく、本当にここかと疑われたが、橋の竣工年からみてここに違いないとなった。この橋台に「S43 9.8」という落書きがあり、我々の1か月後に誰かが野宿したらしい。ここは結構野宿の適地なのかと思われた。でもよく42年前の落書きが残っていたものだ。
(当時、阿寒湖でさぼってボート漕ぎなどしてたので行程が捗らず、前日とは違う近くの橋の下でキャンプをした。テント張りが省けて楽だから味を占めたようだ。)

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我々が探索している間、ちょうどかち合ったらしく何人ものハイカーがここをうろうろしていたので、なにかイヴェントでもあるのかなと思ったが単に滝見物だったようだ。

横断道路はすっかり舗装されて、当時の厳しい砂利道を想像するのも困難だった。つらい思いをして登った道も車ではあっという間に双湖台まで到着。そこからの眺めは当時と同じだったが、周りの樹木は40年の歳月で変っていた。 (下は当時の双湖台での写真だが、ここの売店でコーラ100円、ファンタ80円だった。カレーライスが100円で食べれた時代だから、べらぼうに高かった。写真の樹は倒れてしまったようだ)

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弟子屈の「福住」というそばやで昼食。大もり800円はちと高いかと思ったが、量は2人前あり、おいしかったから合格点。
摩周湖は快晴で霧の神秘さもなくすっかり丸見え。当時も丸見えだったから我々は摩周湖とは相性が良いのだろ
う。駐車料金410円には驚いたが硫黄山にも使えると聞いて納得。

続いて川湯温泉駅を覘いて、12泊目の道路脇のキャンプ地は確定困難ということもあって横目で見ながら通過。
(当時、川湯温泉駅で野宿を企んだが断られた。そこに一人旅の高校生もいたので、我々のテントに泊めてやった。川崎から来た熊白君とかいった。日も暮れていたので駅近くの道路脇にそそくさとテントを張った)
硫黄山で410円のもとを取って、砂湯を経由して屈斜路湖の和琴半島に到着。13泊目のバス停はなくなっていたが土産屋は当時のままと思われた。無料の野天風呂も当時より大きく場所もちょっとずれているようだ。
(当時も和琴半島に有料のキャンプ場があって我々はお金を払ったが、とても騒がしくて我々の趣味に合わないのでバス停に野宿した。屋根付きの大きなバス停で目の前に土産屋があり若い女の店員が二人いた。ここからちょっと先に無料の野天風呂があり、暗くなって彼女らに風呂に誘われたが混浴なので躊躇し行かなかった。今考えるとなんと初だったことか。
次は当時の写真だが湖畔の景色は今と変わらない。中央奥の車の左側に野天風呂がある)


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(現在の土産屋とバス停。当時の屋根付きバス停はキャンピングカーの辺りにあった。) 

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(今の野天風呂。当時より拡張されて大きくなっている。脱衣所まである)

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美幌峠は霧もなく屈斜路湖が丸見えで箱庭をみているようだった。
サイクリストがのろのろと登ってくるのを見て当時の辛さがよみがえってきてしまった。
「おまえは舗装されている分、楽をしてるぞ」と胸の中で言っていた。
(写真左に豆粒のようにサイクリストが写っている。
遠くに斜里岳も見える。当然当時は未舗装だった。)


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ここからはひたすら北見を目指したが、ナビに従ったら美幌〜北見は当時と違う道を走ってしまった。
とにかく距離を稼がなくちゃという想いが先に立ち、北見の公園も確認をパスし、14泊目の留辺蘂のキャンプ地も最初から特定困難と思っていたからここもパス。
石北峠も車ではなんなく制覇。いい調子だ。
(実は当時留辺蘂から石北峠を目指す途中、風間君が道路に止まっていたトラクターに追突するという事故が起こった。その場所は今となっては皆目見当もつかないので脇目も振らず飛ばしてきたが、その傑作写真が残っているので披露する。幸いなことに怪我はなく、前輪のフレームが少し曲がっただけで済んだ。)

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大雪ダムを見て層雲峡にちょっと道を後戻り。
当時は夕立に遭い靄に覆われた滝だったが今回はすっきりくっきり。
その雄大さに改めて感激。しかし長いトンネルができて層雲峡の道が廃道になってしまったのは残念だ。
(次は銀河の滝であるが素人の腕ではその雄大さは現わせません。)

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ここで本来の行程をとばし本日中に高速道路で札幌ないし小樽あたりまで足を伸ばす案にまとまり、上川、美唄のキャンプ地はパスすることになった。
上川は石狩川の橋の下なので特定が楽勝だったし、美唄は事前調査でもほとんど不可能と思っていたので、パスすることに未練はなかった。
高速に乗る前にガソリンを入れたかったがスタンドがなく、高速に乗ってから燃料計が点滅し始めた時は、砂川SAまで計算上大丈夫と判っていても不安だった。
小樽に近付くとやはり霧が立ち込め、北海道の海岸線という海岸線は全部霧に覆われているんじゃないかと思った。
小樽ではグリーンホテルに投宿。素泊まり5000円なり。夕餉はレンガ横町という屋台村に繰り出した。
先客のアベック(夫婦かも)と話が弾み、「帯広スタートの小樽までのコースは北海道人には思いつかない」と感心?された。
その後に来た茨城県のあやしい3人組ともわいわいやって宴を楽しく過ごした。
ホテルに戻りお決まりの2次会で打ち上げた。本日は600Km 以上走ったことになる。
次回4日目に続く(最終回)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
電子マネーの時代になりつつある現在では尚更、トイレの「おつり」は分からんでしょう。白黒写真に42年の時間を感じますね。
きんとん
2010/09/06 23:25

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